文脈を決める、言葉のにおい
(水曜は言葉について)
『昨日の夜中に前付き合ってた女の子から電話がきて、とあるコンペ(賞金あり!)に協力してくれないかと誘われました。』実際そんな話無いです、すみません。あったとしましょう、これをちょっと言い換えてみます。
『昨日未明、元交際相手の女から金銭目的での話を持ち掛けられた。遊ぶ金ほしさからの勧誘であった。』
見方に偏りはあるものの、事実は変わっていません。さて、一気に犯罪めいてきたと思いませんか?
文章を解きほぐすべくもなく「未明」「元交際相手の女」「金銭目的」「遊ぶ金ほしさ」といった言葉の印象が決め手だなと分かります。ニュース、中でも事件報道という一定の文脈で見聞きしている言葉が散りばめられることで、ありきたりな事実のトーンが明らかに暗めの色に塗られます。私はこれ、「言葉のにおい」が文に移っちゃったと考えています。
言葉は家にある物と同じで、それぞれ収納場所が決まっているんですよね、きっと。「心安い」「衣紋掛け」みたいなちょいと古めかしい言葉はおばあちゃんの部屋の箪笥に、「ヤバい」「ウザい」は女子高生の孫娘の部屋に散在し、「愛してる」なんては大事だけど中々使わないから実印と一緒に金庫に、という感じです。そしてそれぞれ部屋ごとにどうしても独特のにおいがついちゃうんだと思うんです。
文章を書くのが上手な方って、言葉の収納場所とにおいを分かっていて、読み手がどんな気持ちになるのか香水を作る人のように自在に操れるのでしょう。逆に言えば、複数の部屋にある言葉を混ぜてにおい同士がぶつかっていたり、そもそも相手が好むにおいを発していないことに、言いたいことが伝わらない原因があるのではないでしょうか。
※私も少しずつ強い香りを抑えていきます、あしからず。
思えば無駄にカタカナ英語を濫用する人、「鼻につく」って思いませんか。鼻につく、正ににおいにまつわる慣用句です。
言葉ににおいがあるという私の発想でさえ、よくよく考えてみれば先人達の残り香であったことに皮肉と奥深さを感じずにはいられませんでした。以上